1932年, 中国・満州国・日本

撫順襲撃事件

満州国承認直後の匪賊による日本人襲撃

カテゴリー
読み応え
年代
国・地域
キーワード
update:2018/10/10 17:02:13
満州国時代の撫順炭鉱

撫順襲撃事件(ぶじゅんしゅうげきじけん)とは、1932年9月15日に起きた満洲国撫順市撫順炭鉱における匪賊紅槍会匪(大刀会匪)による放火日本人殺人事件。

楊柏堡事件撫順炭鉱襲撃事件とも呼称される。

概要

日満議定書締結式(1932年9月15日)

1932年9月15日、日満議定書が締結され日本国は満州国を承認した。締結日の払暁から16日未明にかけて太刀で武装した匪賊の大軍が撫順炭鉱の楊柏堡、東郷、東が岡などの採炭所を襲撃、施設に火を放ち、日本人5人が殺害された。

楊柏堡採炭所の撫順医院看護手濱口友七郎や、龍鳳採炭所職員の家族土田慎一郎は、銃声とともに匪賊の「ヤー、ヤー」「ホイホイ、ホイホイ」などの叫び声を聞いている。炭鉱事務所や社宅は匪賊によって焼き払われた。殺害された犠牲者は目を繰り抜かれ、耳、鼻をそぎ落とされていたため、本人確認をすることが困難であった。

事件の影響

李香蘭(1933年頃)

9月16日、撫順守備隊が反撃を行い、ゲリラに関わるとされる住民を多数殺害した(平頂山事件)。

なお、この事件では李香蘭の父に通敵の嫌疑がかけられ、これを契機に李香蘭一家は奉天に移住することになった