1870年, フランス・プロイセン・ドイツ

セダンの戦い

最高司令官ナポレオン3世が捕虜となる

カテゴリー
読み応え
年代
update:2017/12/23 13:21:09
セダンの戦い

セダンの戦いは、普仏戦争における戦いの1つ。この戦いに参加したフランス軍の主力は全面降伏した上、最高司令官たるナポレオン3世が捕虜となったため、戦争の趨勢を決めた戦いとなった。セダンはスダンと表記することもある。

概要

ラ・モセルでの戦闘
捕虜となったナポレオン3世とビスマルク(1878年 ヴィルヘルム・カンフーハウゼン)

メス攻囲戦でフランス陸軍主力がドイツ第1軍及び第2軍に包囲されていたため、これを救援すべくシャロンでは陸軍を編成した。これに気付いた大モルトケ率いるドイツ軍は第3軍をもってフランス軍を急襲し、打撃を被ったフランス軍は一時撤退して弾薬の補給と兵士の休息を行った。

間もなく第3軍はセダン(スダン)に到着し、フランス軍はこれを確認するも、消耗のために直ちに撤退することはできなかった。そのため、包囲されたままセダンで戦うこととなった。フランス陸軍は包囲を突破する努力を続けたが、火砲を駆使するプロイセン軍により、司令官のマクマオン将軍が負傷し、兵員も多数負傷したため、降伏するに至った。

ナポレオン3世の体たらくにフランス国民は失望し、フランス第二帝政は終焉を迎えた。とはいえ戦争は終わらず、メス攻囲戦はフランスの敗北という結果となったが、この後も普仏戦争は続いた。