1919年, アメリカ合衆国

ボストン糖蜜災害

街を糖蜜の津波が襲う

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update:2017/12/23 11:56:51

ボストン糖蜜災害は、マサチューセッツ州ボストンの港湾部ノースエンドで1919年1月15日に発生した事故である。

ピュリティー蒸留会社の敷地にあった糖蜜を詰めた巨大な貯槽が破裂し、糖蜜の波が推定時速60キロメートルで街路を襲い、21名が死亡、150名以上が負傷した。この事故は現地の伝説となり、ボストンの住民は今でも糖蜜の匂いがすると主張している。

事故の経緯

糖蜜に襲われた被害現場

この災害の起きた日は禁酒法憲法修正第18条が承認される前の日だった。当時、糖蜜は北米での標準的な甘味料だった(現在では砂糖に置き換わっている)。また、糖蜜は発酵させてエチルアルコールを回収し、酒に使われたり、軍需品の生産のための主要な成分として用いられていた。

ボストン港ノースエンド地区の、コマーシャル街とチャールズ川の間にある巨大貯槽に貯蔵された糖蜜は、マサチューセッツ州ケンブリッジ市の、ウィロー街と現在エヴェレテーズ通りと呼ばれている場所の間にあるピュリティー蒸留会社の工場へ移送されるのを待っていた。

破壊された高架鉄道の橋桁

1919年1月15日、1月にしては気温の高い日の昼過ぎ、コマーシャル街529番地で、巨大な糖蜜の貯槽(高さ15メートル、胴回り70メートル、容量9,500,000リットル)が突然崩壊した。この崩壊により糖蜜が放出され、高さ2.5~4.5メートル、時速60キロメートルで移動する巨大な糖蜜の波となった。その圧力は200kPa(訳注:1平方メートル当たり約20トン)に及んだ。

糖蜜の津波は、隣接するボストン高架鉄道のアトランティック通り高架線の桁を破壊し、列車を軌道から押し流した。いくつかの近隣の建物をも破壊し、数ブロックは60センチメートル~1メートルの深さまで没した。

糖蜜の衝突及び窒息により21人が死亡、150人が負傷した。救出に向かった者も、犠牲者を助けようにも糖蜜の中を通るのが困難な有様であった。

事故後

石畳の通り、劇場、事務所、自動車や住宅から糖蜜を洗い流すには6ヶ月以上を要した。糖蜜の流入によりボストン内港の海面は夏まで茶色を呈していた。あまりにも清掃に時間と労力がかかったため、事故から30年が過ぎた頃でもまだ、暖かい日には糖蜜の香りが町に漂うといわれるほどであった。

現地の住民は、ピュリティー蒸留所を1917年に買収していた米国産業アルコール会社を相手取って集団訴訟を起こした。企業側はその貯槽が無政府主義者によって爆破されたのだと主張したが、最終的に60万ドル(2005年の相場で660万ドルに相当する)を支払うことで示談になった。

ピュリティーの親会社であった米国産業アルコールは、その貯槽を再建しなかった。その土地はボストン高架鉄道の作業場となり、現在では市有の野球場になっている。

原因

事故を伝えるNew York Timesの記事

この事故の原因について確実なところはわかっていない。可能性のある説明としては、この貯槽が粗雑に建設され、十分試験されておらず、また過充填していたということである。

別の説明では、貯槽内で起こった発酵により(二酸化炭素が発生し、貯槽の内圧が上がって)破裂したというものである。後者の説明は、事故の前日にこの地方で気温が異常に上がったことから補強される。この期間、気温が-17度から4度まで上がったのである。

3つ目の可能性は、単に気温上昇が破損の原因だったというものである。

災害後の調査により、建設の監督責任者だったアーサー・ジェルは、貯槽に水を入れて漏洩の有無を確認する(いわゆる水張試験・水張検査)といった基本的な安全試験を行なっていなかったことが判明した。糖蜜を入れたとき、貯槽からひどく漏洩したので、漏洩を隠すために貯槽は茶色に塗装されたが、これにもかかわらず、地元の住人は漏れた糖蜜を集めて家へ持ち帰るのが常態化していた。

そのほかの憶測によると、事故当時、禁酒法が発効する前に可能な限り大量のエチルアルコールを生産できるように、この貯槽は過充填されていた可能性がある。実際、修正第18条は翌年まで成立せず、ヴォルステッド禁酒法も産業用アルコールの生産は禁止はしなかった。

新説

この事故の被害が拡大した原因として、2016年になって科学者とハーバード大学の学生による合同チームがコーンシロップを用いた再現実験を基に新説を発表した。

それによれば、問題の糖蜜は事故の2日前に運搬しやすいよう温められた状態で工場に届けられたため、事件当日には外気より4,5度高い状態であり、漏洩したのち急速に溢れ出した。そのうえ、冬の外気に触れて粘性が高くなったことが被害者の救助を困難にし、被害を拡大してしまったという。