1893年, イギリス・スコットランド

アードラモント殺人事件

殺人と名誉棄損 2つの裁判

カテゴリー
読み応え
年代
キーワード
update:2017/12/23 11:44:37
ジョセフ・ベル博士

アードラモント殺人事件は、1893年8月10日スコットランドアーガイルで起きた事件。

事件そのもの以上に、蝋人形のマダム・タッソー館や、シャーロック・ホームズのモデルとも言われるジョセフ・ベル博士などが関わった一連の裁判で有名になった。

事件の概要

現場となったエステートの主屋であるアードラモント・ハウス

アルフレッド・ジョン・モンソンは、1891年から、ある青年の家庭教師/後見人としてハンブロー家に雇われていた。

1893年8月10日、モンソンは、当時21歳だった教え子のセシル・ハンブローを、アーガイルのアードラモント・エステートの森へ、狩猟に連れ出した。モンソンの友人で、数日前にエステートに来ていたエドワード・スコットもこの狩猟に合流する。

彼らが出かけている最中、エステートで働いていた人々は銃声を聞いた。そしてモンソンとスコットが銃を携えアードラモント・ハウスに走って行くのを目撃する。

エステートの執事がモンソンとスコットに、連れ出したハンブローについて尋ねようとしたとき、彼らは銃をきれいに掃除している最中だった。なにが起きたのか尋ねる執事の問いかけにモンソンは、ハンブローが銃で柵を乗り越えようとした際に、誤って自分の銃で自分の頭を撃ち抜いた、と答えた。

疑惑

通報を受け、インベラリ地方検察官事務所から捜査官がエステートへやってきた。この捜査官は、ハンブローの死を悲劇的な事故だったと報告する。

しかし2週間後、モンソンがハンブローにかけられた保険金を引き出したとの情報が入る。保険はモンソンの妻の名義で、事件のわずか6日前に2件で2万ポンドもの高額なものだった。

徹底的な調査がエステートで行なわれ、関係者の事情聴取が進められた結果、モンソンは殺人罪に問われた。すでに立ち去っていたスコットは共犯者と目された。

2つの裁判

殺人の裁判

アルフレッド・ジョン・モンソンは、セシル・ハンブローを殺害したとして起訴され、裁判はエディンバラで行なわれた。

裁判では検察側の証人のひとりとして、エディンバラの外科医で法医学調査員のジョセフ・ベル博士が呼ばれた。博士は陪審員に向かって私見だと断った上で、モンソンがセシル・ハンブローを殺害したのだと述べた。

しかし、モンソンの弁護人であったジョン・コムリー・トムソンは、陪審員たちにモンソンの犯行への十分な疑念を生じさせた。最終的にモンソンは、スコットランド法に従い、スコットランドの刑事上級裁判所から証拠不十分の判決を受け、釈放された。

名誉毀損の裁判

1894年、モンソンが釈放された後、ロンドンマダム・タッソー館は、モンソンの蝋人形を作成した。そして人形に銃を持たせ、「恐怖の部屋」の入口に置いた。

これを知ったモンソンは、マダム・タッソー館を名誉棄損で訴えた。モンソンはこの裁判に勝利し、賠償金として1ファージング(1/4ペニー相当を得る。なお、これは当時の通貨単位の中で最も小さい金額である。

この判決はイングランド法において、「ほのめかしによる名誉毀損」の原理を確立した点で重要と考えられている。名誉毀損が成り立つためには、永続的な形態で公表されることが必要であるが、その手段は言葉である必要はないとされた。

「モンソン対タッソーズ社」の裁判はその後、多くの国々において名誉毀損に関わる法制度の整備において参照されるようになった。