1986年, 日本

平和相互銀行事件

内紛の末行われた銀行による不正経理事件

カテゴリー
読み応え
年代
国・地域
キーワード
update:2017/12/20 22:23:36

平和相互銀行事件は、1986年昭和61年)に発覚した平和相互銀行の不正経理事件。

概要

1970年代に平和相銀経営陣の内紛が数々の不正融資に発展し、様々な不正経理を行った。1986年の発覚によって、平和相互銀行は住友銀行に救済合併され、事実上消滅した。

不正経理

関連会社太平洋クラブ1973年3月より募集していた、会員制レジャークラブの会員権預かり保証金の償還請求期限が、1983年3月より始まろうとしていた。しかし、経営不振から償還原資は無く、このまま預かり保証金の償還ができなければ、信用不安が平相銀にまで広がり、取り付け騒ぎになる恐れが出てきた。

1982年11月、経営者側の実力者であった監査役の伊坂重昭(元東京地検特捜検事)らは、太平洋クラブの資産を売却し償還資金とすることを計画し、同クラブが所有している神戸市内の山林、評価担保額にして42億円相当を売却することを決定した。

まずA不動産会社を仲介料3億6000万円で仲介させ、B不動産会社とC土木会社に60億円で売却し、この土地購入資金としてB・C両社に総額116億2000万円の融資をした。つまり、42億円の価値しかない土地を60億円で取引するという話に、平相銀は116億円の融資をしたことになる。当然、この融資は不良債権化し平和相銀の経営を圧迫した。なお、この資金の一部は闇社会に流れたとされる。

裁判では平和相互銀行元社長に対し懲役3年判決が、監査役の伊坂に対して懲役3年6ヶ月判決が確定した。

馬毛島事件

1983年、伊坂らは鹿児島県の無人島である馬毛島の土地をレーダー基地として防衛庁に売却することを計画し、大物右翼豊田一夫日本青年連盟会長。三浦義一の門弟)に政界工作を依頼し総額20億円を提供した。この資金は20人近い自民党議員に渡ったとされるが、結局レーダー基地は建設されることはなかった。

こうした一連の工作は、平和相銀の経営改善には何の効果も持たず、いたずらに資金流失を招いただけであった。

金屏風事件

1985年8月、伊坂らと対立する平和相銀創業一族が、所有していた株(全株式の33.5%)を旧東京川崎財閥系の資産管理会社「川崎定徳」社長・佐藤茂に80億円で売却した。当時、現金を1日で100億集められるのは2法人1個人しかないとされ川崎定徳はこの内の1つであった。

平相銀株の購入原資は、イトマンファイナンスより融資されていた。同社は住友銀行系中堅商社イトマンの関連会社で、当時の社長は元住友銀行常務・河村良彦であり、河村は住友銀行会長磯田一郎の腹心であった。

株買戻しで焦る伊坂らに、竹下登の秘書・青木伊平の紹介で、真部俊生・八重洲画廊社長から“「金蒔絵時代行列」という金屏風を40億円で購入したら、株買戻しの取引が可能になる”という話が持ちかけられた。後の鑑定で金屏風は多く見積もっても5億円、一説には8000万円の評価額でしかなかったという。

それでも伊坂ら平和相銀経営陣は、株の買戻しの資金として、伊坂が実質的に経営していた経営コンサルタント会社に購入代金41億円を融資し、金屏風を購入した。にもかかわらず結局、株の買い戻しはできなかった。その後、金屏風の代金は、これまた政界に流されたという噂がたった。