1707年, 日本
大谷崩
日本三大崩れのひとつ
update:2018/08/07 10:54:20

大谷崩(おおやくずれ)は、静岡市葵区の大谷嶺(おおやれい)の南斜面にある、1707年(宝永4年)の宝永地震によってできた山体崩壊である。
1858年に富山県で起きた鳶山崩れ、1911年に長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされる。
概要

大谷嶺は標高1999.7m安倍川(あべかわ)の水源のひとつである。大谷崩の位置に崩壊地があったことは1530年(享禄3年)の文献にはすでに書かれている。「大谷崩」の名称の文献上の初出は、1709年(宝永6年)4月に記された「駿河国安倍郡梅ヶ島村差出シ(村差出明細帳)」に「大谷崩という崩壊地があり、さらに下流には長さ1里、横幅10丁の池がある」と記されている。
崩壊で発生した土砂は1億2000万m3と推定され、これが三河内川を堰止めて大池を生じ、明治初頭まで存在していた。また下流に滝もつくりだしており、この滝は土砂のために真っ赤な水を流し続けたことから、「赤水の滝」と呼ばれている。

現在でも大雨の後には多量の土砂崩落が見られる。山体崩壊の迫力のある形状とともに、春の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧などの景観にも優れることから、山の麓まで訪れる観光客も見られる。