1956年, オーストラリア

メルボルンオリンピックのニセ聖火リレー事件

学生たちによる偽の聖火リレー

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update:2017/12/18 17:25:34

1956年、同年に開催されたメルボルンオリンピックオーストラリアメルボルンにて、獣医学を学ぶ学生バリー・ラーキン(Barry Larkin)が、ニセの聖火リレーを行った事件。

概要

ベルリンオリンピックでの聖火リレー

シドニー大学の学生寮セント・ジョンズ・カレッジの学生であったラーキンら9人は、メルボルン五輪の聖火リレーに抗議することを計画した。聖火リレーが元々1936年ベルリンオリンピックにて、ナチス政権によって始められたものである、というのがその理由の一つだった。

計画では、他の一人の生徒が白いショーツと白いトップを着込み、ニセモノのトーチを運ぶことになった。ニセモノのトーチは木製の椅子の足を銀色に塗ったものに、先端にクリスマスプディングの缶を乗せて作られた。そして缶の中には、兵役中の学生がはいていたパンツをケロシンに浸したものが入れられた。パンツを火にかけ、他の生徒が空軍予備役の制服を着用し、オートバイで先導した。

本物の聖火トーチはハリー・ディロンによってシドニーに運ばれる予定であった。ディロンはシドニー市庁舎にてシドニー市長のパット・ヒルズにトーチを示し、スピーチを行った後、次の走者であるバート・バトンに聖火を渡す、という段取りになっていた。

ラーキンは計画通り、ディロンよりも先に、シドニー市庁舎への道のりを走った。道中ラーキンは、彼を本物の聖火ランナーだと勘違いした警察によって警護されていた。そして無事市庁舎に到着し、ヒルズ市長に聖火トーチを示す。準備ができていなかった市長は、聖火トーチには目もくれずにすぐにスピーチを始めた。

ヒルズ市長のスピーチの間に、ラーキンは注目を避けながらこっそり歩いて抜け出した。市長は誰かがあの聖火トーチはニセモノだとささやいたのを耳にし、ようやく事態を飲み込んだ。ヒルズはラーキンを探したが、既に群衆の中に紛れて消えてしまっていた。

余波

聖火がニセモノであることに気づいた群衆は収まらなくなっていった。ディロンが本物の聖火トーチを持って到着した際にも、群衆はまだ不満を口にしていた。ヒルズ市長は群衆をなだめなくてはならなくなり、警察はディロンが進むための道を確保しなければならなかった。次の走者のバトンが聖火を引き継ぎ、軍用トラックが彼の進路を確保した。

大学に戻ったラーキンは学生寮の寮長より祝福され、その日の午前中の試験に行くと、同級生にスタンディングオベーションで迎えられた。ラーキンは本物の聖火リレー運営のマーク・マースデンと知り合いだったため、このイタズラをしでかすことができたのだった。ラーキンはその後、獣医師となり成功を収めた。

ニセの聖火トーチはメインホールの受付に運ばれ、最終的には聖火リレーを車で追いかける旅をしていたジョン・ローラーの手に渡った。彼はそれを注意深く保管していたが、自宅の片付けを行った時に誤って紛失してしまった。

二番煎じ

2000年シドニーオリンピックが開催されている期間中、ラーキンの起こしたこの騒動が報道機関によって取り上げられた。結果として警察はこのニセ騒動を再び起こさせないよう措置をとることとなった。措置の中には、警備隊が聖火リレーのルートに並ぶというものもあったが、これは聖火トーチが見えなくなるといった理由で不満が出るなど支持されなかった。

この大会では聖火リレーを中断させようという試みが2回行われている。2人がトーチを盗もうとしたり、男が単独で消火器を使いトーチを消火してしまおうとしたが、いずれも失敗している。